本当のぼくじゃない

好きが多すぎるので140字じゃ足りないときに

底面から見上げて思うこと

Jr.情報局やっと入れたんです。

で、祭りとか湾岸とか動画を一通り視聴しました。

すごく面白いし笑って元気出るし楽しい。

今じゃWEST兄さんのページと情報局の往復。

が、情報局に入っても彼らに会いに行けないせいか、

せっかく見えないようにしてくれている

もがきとか苦しさとかにも目が行くようになってしまって。

無くしたいのでこれから文章化してデトックス

 

 

表現をやる人は、

みな好戦的な淡水魚のようなものだと思っています。

最後の一匹になるまで苛め抜く金魚もいれば、

色鮮やかな姿をして常に闘うベタのような熱帯魚もいます。

 

自分の場合、音楽を始めた時から

「お前は上を目指しても上がれない」と

晴パパのように暗示をかけられ続け

(親が自分の子どもを下げるような事を言うアレ)

「私は巧くなれない人間だけど頑張ろう」

というマインドにすり替えられたまま勝負に臨み、

「本当の事を言うとあなたは磨けば光る素材だったらしいよ」

と終わってから種明かしをされるようなアホな魚だったので、

言葉は悪いですが最初からまんまと「雑魚」やってました。

暗示をかけるのは他にも違う魚の先生や他所のお母さんなど。

同じ水槽内にいる魚同士の足の引っ張り合いはともかく

自分が育てる魚だって等級をつけられるのですから

同種の雑魚を増やしたい心理は仕方がないと思っています。

後から聞いたら本当にいい所まで行く素養はあったらしい…。まじで?

 

何でこんな日記?徒然草?とよくわからないまま、

行き遅れた雑魚として水槽の底面から

円錐のように狭まる上へ顔を上げるときに思うことを。

 

水の中で認識されている厳しさを

【完璧にやらなきゃという緊張感】

【常にスキルアップが求められる危機感と焦燥感】

に絞ります。

 

水槽の上の方が酸素を吸えるし、餌ももらいやすい。

でも、上から見られるから綺麗でいなくちゃと思う。

優雅に泳げる技術とタフな免疫力と

重宝される独自性や希少価値もほしい。

落ちれば下は広い。でも失う。

何で酸素ポンプないんだろう?餌の装置もないんだろう?

どうして循環してくれないんだろう?

っていう、もしかしたらっていうカースト上位妄想ですけれど。

 

この、どうして循環してくれないんだろう?

って「もしかしたら」彼らも感じているのかな?

と気になるようになりました。

自分で見つけて自分から取りに行くつもりなのに、

何だか許されていないのかなって。

 

私が水底を漂った音楽の世界は

完璧な結果を掴んでこそ真性ですが、

完璧を目指す「完璧じゃない姿」でも許されるのが

音楽だけじゃない世界で闘う彼らたらしめるもの

と思っています。

しかし、その「完璧じゃない姿」が許される範囲が

時代と同じ速さで狭まっているような感覚があります。

正直、この水槽は色水か?という気がしてしまいます。

こんなに不透明がある世界だなんて知りませんでした。

 

限りなくフィクションな存在でいてほしいけど、

空想上の云々じゃないんだから

持続的に今の姿を見たがってしまうし、

声だって歳を取るから今の歌を聴きたい。

広く遠く強く泳ぎ続ける姿を見たいなぁ。